山陰の旅 - 松江 [ちょっと遠出]
出雲大社にお参りした翌日、少し足を伸ばして松江を訪れました。松江城と小泉八雲の旧居を見たかったからです。
松江城は慶長5年(1611年)に初代藩主堀尾吉晴が、宍道湖の北東湖畔亀田山に築城した平山城です。
クスノキの大木を見上げながら石段を上がると
宍道湖から引かれた堀川沿いを北に周ると
40歳で来日してから東京で亡くなるまでの14年間、松江、熊本、神戸、東京を転々とした小泉八雲がこの家で過ごしたのは僅か5ヶ月という短い期間でした。
「庭のある侍の屋敷に住みたい」と願った八雲にとって、枯山水の庭を持つ武家屋敷が、日本の美を書に著わす大きな手助けになったことは想像に難くありません。
旧居の並びに創業120年の和菓子屋さんがありました。茶人としても一流であったといわれる江戸時代後期の松江藩主松平治郷(はるさと)公によって根付いた茶の湯と共に、松江の和菓子も長い歴史を持っています。このお店の初代が創った「朝汐」を頂きましたが、「甘さ控えめ」が流行りの最近では珍しく、「甘くて美味しい」お饅頭でした。
松江城は慶長5年(1611年)に初代藩主堀尾吉晴が、宍道湖の北東湖畔亀田山に築城した平山城です。
クスノキの大木を見上げながら石段を上がると
入母屋の出窓をつけた5層の天守閣が現れました。
望楼に登ると、南に宍道湖が見えました。
宍道湖から引かれた堀川沿いを北に周ると
程なく小泉八雲の旧居に着きます。
40歳で来日してから東京で亡くなるまでの14年間、松江、熊本、神戸、東京を転々とした小泉八雲がこの家で過ごしたのは僅か5ヶ月という短い期間でした。
「庭のある侍の屋敷に住みたい」と願った八雲にとって、枯山水の庭を持つ武家屋敷が、日本の美を書に著わす大きな手助けになったことは想像に難くありません。
旧居の並びに創業120年の和菓子屋さんがありました。茶人としても一流であったといわれる江戸時代後期の松江藩主松平治郷(はるさと)公によって根付いた茶の湯と共に、松江の和菓子も長い歴史を持っています。このお店の初代が創った「朝汐」を頂きましたが、「甘さ控えめ」が流行りの最近では珍しく、「甘くて美味しい」お饅頭でした。
2012-10-11 20:47
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