山陰の旅 - 石見銀山 [ちょっと遠出]
日本海を望む山陰道を離れ、石見街道を30分ほど山間に入ると、石見銀山があります。16世紀初頭から大正時代の末まで400年にわたって採掘された石見銀山には、大小600余りの坑道があり、大航海時代の16世紀から17世紀にかけては、世界の銀産出量の約3分の1を占めた日本の銀のかなりの部分が石見銀山で産出されたそうです。
銀山川と平行した一本の緩やかな街道に沿った集落を抜け、
間歩と呼ばれる坑道は、腰をかがめて歩くのがやっとの狭いものですが、1日5交代でようやく1尺進んだということですから、大変な苦労だったでしょう。
鉱山を出て来た道を散策しながらゆっくりと下り、
街道に面した一軒のお店に入ってひと休みしました。土間で履物を脱ぎ、広い板の間を通り抜け、
広い中庭を楽しみながらたっぷりのコーヒーを頂きました。
このお店は30年前に夫婦二人で布地の小物の製造販売から始めたそうですが、今では全国の専門店で売られるブランドになりました。
(後記)
今回の旅で島根県の松江、出雲、石見を訪れました。島根県の2012年の推計人口は、全国47都道府県の中で下から2番目の約70万人、東京都の約20分の1、人口密度でいえば70分の1です。
東京が余りにも肥大化し過ぎて、東京からの距離が近いことが何となく文化に近いという錯覚に陥りますが、色々な土地を訪れるにつけ、それぞれの地方に固有の文化が大切に残されていると感じます。
里山の風景を作る田畑や山林などは、そこに住む人の自然と共存する営みがあってこそであり、それぞれの土地固有の文化や伝統は、生活環境と切り離して考えられないもので、それを継ぐ世代がその地に生活を続けてこそ受け継がれるものです。住む人たちの郷土愛が、文化を育むバロメーターだと強く感じた旅でした。
銀山川と平行した一本の緩やかな街道に沿った集落を抜け、
鬱蒼とした森の中の道を登ると、鉱山の入口がありました。
間歩と呼ばれる坑道は、腰をかがめて歩くのがやっとの狭いものですが、1日5交代でようやく1尺進んだということですから、大変な苦労だったでしょう。
鉱山を出て来た道を散策しながらゆっくりと下り、
街道に面した一軒のお店に入ってひと休みしました。土間で履物を脱ぎ、広い板の間を通り抜け、
広い中庭を楽しみながらたっぷりのコーヒーを頂きました。
このお店は30年前に夫婦二人で布地の小物の製造販売から始めたそうですが、今では全国の専門店で売られるブランドになりました。
(後記)
今回の旅で島根県の松江、出雲、石見を訪れました。島根県の2012年の推計人口は、全国47都道府県の中で下から2番目の約70万人、東京都の約20分の1、人口密度でいえば70分の1です。
東京が余りにも肥大化し過ぎて、東京からの距離が近いことが何となく文化に近いという錯覚に陥りますが、色々な土地を訪れるにつけ、それぞれの地方に固有の文化が大切に残されていると感じます。
里山の風景を作る田畑や山林などは、そこに住む人の自然と共存する営みがあってこそであり、それぞれの土地固有の文化や伝統は、生活環境と切り離して考えられないもので、それを継ぐ世代がその地に生活を続けてこそ受け継がれるものです。住む人たちの郷土愛が、文化を育むバロメーターだと強く感じた旅でした。
2012-10-12 19:25
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山陰の旅、楽しく拝見しました。日本の落ち着いた美しさを感じます。いつか訪ねたいと思っているところの1つですが、ますます行ってみたくなりました。日本は美しい、ですよね。海外からいらっしゃる方は口をそろえておっしゃいます。
by やのか (2012-10-16 09:27)
やのかさん
山陰は高校時代に友人と旅して以来でした。興味深い所が多々あって、またゆっくり訪ねてみたいと思いました。冬の日本海は鉛色ですが、夏の海は綺麗です。
by ヒデさん (2012-10-16 11:20)