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沖縄 (4) 琉球王朝 [ちょっと遠出]

首里城の南に、琉球王朝の歴代尚王とその親族を祀った御陵である「玉陵(タマウドゥン)」があります。琉球王朝は室町時代の1406年から七代64年続いた第一王統と、1470年から明治まで十九代410年続いた第二王統がありますが、この御陵は第二王統の尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために1501年に建てられました。

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御陵を囲む石壁の門を入ると、珊瑚の破片が敷き詰められた内郭の向こうに、石で積み上げられた建物が現れました。多くの観光客が次々に訪れる首里城に比べて、ここには静謐な空間があります。

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台湾の金門で見た「風獅爺」と、玉陵の上部にある石獅子(シーサー)。共に魔除けのシンボルですが、風貌もどこか似ています。

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石壁の近くにとっくり椰子のような大木がありました。太太が受付の女性に聞くと、「とっくり木綿(きわた)」という名前を教えてくれました。見た通り木の幹がとっくりの形をしています。木綿の由来は、この木の種子の中に真綿のように細かい繊維が詰まっているからです。この繊維は水をはじくので、昔は綿入袢纏のようにして船舶の救命胴衣として使われたのだと教えてくれました。

『戦禍』

沖縄に来るのは5度目だと書きました。しかし、これまで先の戦争を記した「ひめゆりの塔」や「平和祈念公園」を訪れることはありませんでした。仕事や行事で来たので時間に余裕がなかったということもありますが、先の大戦でのこの地の過酷な歴史を目の当たりにするのは、荷が重たかったからです。

しかし、今回は慰霊に訪れることにしました。

ひめゆりの塔

土産物屋が立ち並ぶ国道沿いの駐車場に、様々な色の大型観光バスが並び、団体客が次々に降りてきます。

入り口で生花を買いました。

   「寒いですねぇ」

と言うと、花を渡してくれた「おばぁ」は

   「去年の今頃は半袖だったさぁ」

と言いました。何せ今年は鹿児島の市街でも雪が積もっているのですから。

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慰霊碑の前に生花を捧げてから資料館に入りました。終戦の直前にここで犠牲になった生徒たちの数は二百数十人、全生徒の半数以上です。年齢は11歳から18歳。壁に貼られた少女たちの眼差しを受け、息苦しさを感じながら足を運びました。


平和祈念公園

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ここの慰霊碑「平和の礎」には、沖縄戦で命を失くした人たちの名前が刻まれています。アメリカ兵、日本兵、そして沖縄の人々・・・延々と続く名前を見ていると、その人たちや家族との別れが思い起こされて、戦争が強いた計り知れない犠牲に心が痛みます。

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海を見渡す丘の上には、都道府県ごとの慰霊塔があります。故郷から遥か遠く離れた地に送られた兵隊たちも、その大多数は生きて再び故郷に戻ることはありませんでした。


美しい自然の中で神々に祈る生活を送っていた沖縄の素朴な人たちが、兵士とともに最後まで戦うことを強いた教育とは何だったのか

ひとりひとりが大切な家族や生活を犠牲にして守るべき「お国」とは何だったのか

飢えと病と恐怖に慄きながら、「ガマ」と呼ばれる洞窟に身を寄せ合った人々は、何を心の拠り所としたのか

あと半年終戦の決断が早ければ、沖縄、広島、長崎の人々は助かっていたのに、誰が何のために決断を遅らせたのか

・・・


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強い潮風に白い波頭を立てる海を見ていると、次から次へと沸いてくる疑問にやるせない思いがこみあげてきます。

ただただ冥福を祈るばかりです。

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