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沖縄 (2) ニライカナイ [ちょっと遠出]

明け方四時、激しい風と窓を打つ雨の音で目が覚めました。本格的な冬型の気圧配置で寒波が来襲し、海は大荒れです。テレビのニュースでは沖縄本島周辺では4mの高波、五島列島の西では小型船が行方不明になったと言っています。風と波は次第に強くなり、この分では数日足止めを食うかと心配していると、唸る風の合間に「今日は朝の一便だけフェリーを運航します」というスピーカーの放送が聞こえました。

徳仁港に行くと、今日一本だけのフェリーを逃すまいと、島の人たちが三々五々集まって来ました。午前九時、いよいよ出港です。港の防波堤から外海に出ると、船はまともに荒波を受けてシーソーのように揺れだしました。

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波頭が強い風にちぎられ、時折ドーンと打ち付けられるように波の間に落ちたり、青黒い海が目の前にせり上がって来たりすると、さすがに身体が強張ります。

30分ほどで荒波を抜け、安座真の港に入ってようやくほっとしました。船酔いを避けるため朝ごはんを食べずに出たので、安心すると急にお腹が空き、丘の上のレストランに行って朝食を採ることにしました。

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レストラン「くるくま」のテラスからは、太平洋が一望に見渡せます。残念ながら雨雲が垂れこめていましたが、それでも時折雲の間から陽が透けると、目の前に広がるサンゴ礁の海がうっすらと碧色に染まります。


ヤハラヅカサと浜川御嶽

食事を済ませた後、玉城、百名の海岸に下りました。ここの沖合にあるヤハラヅカサとシオバナツカサのふたつの岩は、琉球の国の初めの神であるアマミキヨが降り立った場所といわれ、仮住まいしたとされる浜川御嶽とともに、琉球の聖地巡礼である東御廻い(アガリウマーイ)の拝所のひとつとなっています。

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浜川御嶽は鬱蒼と茂った樹林の中にありました。

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折り重なる岩の間から深い空洞を覗きこむと、奥の方に清らかな水の流れが光っていました。

岩の裏に回って海岸に下りると

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波に浸るヤハラヅカサに向かって、お祈りを捧げている人が居ました。御嶽信仰は長い時代を経て、今も日常生活の中に受け継がれています。

古来、現世と死後の世界をつなぐ聖域とされてきた沖縄の御嶽の多くは、人が容易に入ることを拒む海辺の洞窟や山の中にあります。台湾の離島を訪れると、同じような所に原住民の祈りの場が見られ、これらの信仰は南西の島々に共通して見ることができます。

十数年前、大峯山奥駈の最終日に、最後の靡(なびき)である熊野の西岸渡寺から、彼方に光る熊野灘が見えました。その先には観音浄土の補陀落(ポータラク)があるとされています。御嶽信仰で東方の海にあるとされるニライカナイと補陀落浄土・・・文化の源は違っても、そこに祖霊神や仏が居ます聖なる地があるという思いには相通じるものがあります。

スイスの言語学者ソシュールが言うように、文化が違うということは、ことばによって表現されている世界の本質も異なっているということで、ある文化が持つ「ことば」を異文化のことばで比喩的に語ろうとすることは危ういことかもしれません。しかしその一方で、違ったことばで表現されている異文化のルーツが、本質的には同じ世界から出てきたのではないかと考えたくなるのも素直な気持です。


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